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About kailas
ヨーガスクールカイラスについて
カイラス―― それは、ヒマラヤにそびえ立つ聖なる美しい山。
そこはヨーガの聖地であり、また仏教の聖地でもあります。
ヨーガスクールカイラスは、聖山カイラスのように流派にとらわれない「真実のエッセンス」を掴める場所でありたい――
そのような思いを胸に、全国五ヶ所にスタジオを開き"本格的ヨーガ"を伝えています。
平和、なに不自由のない生活、便利な社会――
現代は、ひと昔に比べたら遥かに幸せな時代です。
しかし、世界に蔓延するのは、不平不満ばかり。
そして増え続ける精神病と自殺者――
―― 高度なテクノロジーでも、"人の幸福"は生産できないようです。
幸福とはなんでしょう? 自由とはなんでしょう?
その問いに正確な回答を与えられる人は、おそらくほとんどいないでしょう。
なぜ人は自由と幸福を求めるのか?
それは、人の心は本来、限りなく自由だからです。
人の心は今、執着や怒りなどのさまざまな概念の皮をかぶっていて、とても不自由です。
しかし、その皮を脱いだ裸の心は、空のように広くて透明で光り輝いています。
古代に"それ"を発見した人々は、"それ"を見い出すための方法を編み出し、それが現代まで受け継がれてきました――
それがヨーガです。


近年、世界的に流行し、今ではすっかり健康や美容における社会的地位を獲得した"ヨガ"―― しかし、その奥深さを知る人は、いまだ少ないのかもしれません。
ヨーガの体操を入口とし、そのより深い部分を探求したいと思う人も、最近では少しずつ増えてきています。
西洋は、二千年かけて物理科学を発展させ、物質的な豊かさを築き上げてきました。
そして東洋は、その間、 ヨーガや瞑想という"心の科学"を発展させ、精神的な豊かさを築いてきたのです。
では、一体ヨーガが何千年という歳月をかけて追及してきたものとは具体的に何なのか?
―― その一端をこれからご紹介していきましょう。
▼目次 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
2.ヨーガの必要性
3.ヨーガの種類
・"道"
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ヨーガが目指す"幸福"と"自由"
人は皆、誰もが幸福を求めて生きています。
そして普通、人は「幸福」というものを考えるとき、「外的条件を整えること」を考えます。
たとえば、「良い結婚をしたら幸福だが、できなかったら不幸」、「お金があったら幸福だが、なかったら不幸」―― しかし、これら外的条件は常に移り変わるものであり、常にあらゆる条件を整え続けるということは不可能です。
しかし、ヨーガが求める幸福とは、「外的条件を整えた幸福」ではなくて、「外的条件に左右されない内的幸福」なのです。
「恋人がいてもいなくても幸福」「お金があってもなくても幸福」
―― そのような幸福は外的条件によって壊れることがありません。
さっきとは逆で、「人に馬鹿にされても幸福」、「会社が倒産しても幸福」、「一生独り身でも幸福」―― そして、極論を言えば「奴隷として売られても幸福」なのです。


最高の自由
そしてヨーガが目指す「自由」とは、欲望からの自由であり、あらゆる固定観念からの自由です。
欲望を叶えることによって感じる自由とは、単に「○○したい!」という欲求を満たすということで、一時的に得られる満足感に過ぎません。
そして、欲望には限りがありません。
それはまるで塩水を飲めば飲むほど喉が渇くように、どんなにお金を稼いでもさらに稼ぎたくなります。
どんなおいしいものを食べても、さらにおいしいものを食べたくなります。
欲望というものは、満たそうとしても永遠に満たされることがありません。―― それが欲望の正体なのです。

皮膚病の例え
そして、それは皮膚病とも似ています。
皮膚病は掻くと気持ちいいですが、掻けば掻くほど本質的な「痒み」の原因は悪化していきます。
そして痒みを我慢し、皮膚病を完治させたときに生じる喜びがこの例えによる本当の「解放」でしょう。
同様に、欲望も求めれば求めるほど、その欲求は強まり、欲求が満たされないときの苦しみは増大します。
そして、その欲望から解放されたときの自由こそ、最も本質的な最高の自由なのです。
ヨーガの必要性
上記の「幸福」と「自由」を確立するために、ヨーガはどの時代、どの国においても必要だと言えますが、現代においてはその必要性はさらに高くなっていると思います。
なぜなら今の時代、人は「外的条件による幸福」に非常に強く依存しているからです。

現代の人々は、小さい時から教育やメディアからの情報によって、知らず知らずのうちに「架空の幸福の概念」を植え付けられ、「利己心(エゴ)」が非常に強くなっています。それゆえに人々の精神的苦しみは相当なものだと思います。
「お金持ちが幸福で、貧乏は不幸」―― この概念は、一体誰が決めたのでしょうか? 人類の起源からあったものなのでしょうか?(笑)
それは人間が勝手に決めつけたものです。
人は子供の「おままごと」のように、勝手に決めごとを作って、その決めごとに従って喜んだり苦しんだりしているだけのことなのです。
誰が考えたかも分からない「おままごと」に一生付き合って生きていくのか、あるいはその「おままごと」をやめて、"リアル"な生を生きるのか―― それを決めるのはあなた次第ですが、わたしたちは後者をおすすめします。
ヨーガの種類
ヨーガには、挙げればきりがないほど多くの種類があります。
しかし、それはすべての川が最後には海に流れ込むように、あらゆるヨーガは方法は違えど、目的はすべて同じです。
それでは、その代表的なものを簡潔にご紹介します。
「ラージャ・ヨーガ」
精神集中の瞑想を中心にしたヨーガ。古代においては精神的な探求の主なるものは、精神集中を中心にした瞑想でした。
「ジュニャーナ・ヨーガ」
「私とは何か」ということを徹底的に論理的に分析し、思索することによって悟りにいたるヨーガ。
「カルマ・ヨーガ」
カルマの法則を学び、カルマを神の愛であると知り、あらゆることを受け入れてこの世で無執着に行為することによって悟ろうとするヨーガ。


「バクティ・ヨーガ」
神への純粋な信仰によって悟ろうとするヨーガ。
「ハタ・ヨーガ」
肉体のさまざまな生理機能や気(プラーナ)の働きを整え、その働きを利用して真理に到達しようとするヨーガ。
「クンダリニー・ヨーガ」
神秘の生命エネルギー「クンダリニー」の働きを利用し、速やかに解脱しようとするヨーガ。


"道"
もっといえば、例えば後期インド仏教やチベット仏教の行者たちは、自分たちの修行のことを「ヨーガ」と呼び、自分たちのことを「ヨーギー」と呼びます。
また、インド人は中国の気功のことを「中国ヨーガ」と呼ぶこともあります。
つまり、仏教も、気功や仙道も、方法は違えど最終的に完全な悟りにいたろうとする道を持つものはすべて基本的に「ヨーガ」なのです。

ヨーガスクール・カイラスの特徴
「ヨーガスクール・カイラス」では、ハタ・ヨーガやクンダリニー・ヨーガを中心に、あらゆるヨーガを指導することができます。
それは指導者である松川講師が、かなりの「修行マニア」であり(笑)、さまざまなヨーガの実践と達成を経験してきたからです。
指導できる行法の幅と深さに関しては他の類を見ないものがあると考えています。他では教えることのできない、さまざまな効果的な「ヨーガ」を提供することができます。
ヨーガを続けて思うこと
ヨーガを続けていくと、こういうことを思うようになります。――
「なんで今まで、わざわざこんなことにとらわれてたのだろう?」と。
それは、今まで自分を覆っていた、さまざまな「固定概念」から解放されてきたサインでもあります。
ヨーガでは、「心は本来、完全に自由だ」と言います。
それは単に、「覆われているだけ」だと。
その覆いを剥がしていくのが「ヨーガ」であり、本当の意味での「スピリチュアリティ」です。
古今東西で人々が探求してきた自由―― それは、決して築きあげられるものではなく、純粋に、シンプルになって、内に見つけるものなのです。


ヨーガスクール・カイラスが伝えたいもの
現代は、特定の流派にこだわる時代ではないと思います。
ヨーガスクール・カイラスでは、あらゆるヨーガのやり方を駆使し、時には気功や仏教のやり方も含め、最も生徒さんに利益のある形で指導しています。
そういう意味もあり、指導はマンツーマンか少人数制というやり方をとっています。
現代人は、体も心も疲れきっています。まずは体を使ったヨーガによって、それら疲れきった肉体や神経組織の緊張をほぐしていきましょう。
ヨーガによって人間本来の生理機能を正しく取り戻すだけでも、現代人には多大な恩恵があります。
そしてそこからさらに深みを目指したいと思う人は、どんどんヨーガを深めていってほしいと思います。